近視手術、PRKレーシックのパイオニア医師、奥山公道のプロフィール

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参宮橋アイクリニック(現在の奥ノ山医院)院長 奥山公道
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近視博士 奥山公道プロフィール リンク


近視博士は、1995年に屈折矯正学で博士号を頂いたのがきっかけです。
近視を治して頂き、30年間近視治療に従事した証として不遜ながらも、ご愛嬌とお許し下さい。

近視博士 奥山公道
奥ノ山医院(旧 参宮橋アイクリニック)院長
医学博士・奥山公道(おくやま こうどう)

ロシア眼科専門医(国家資格)・屈折矯正手術専門医資格取得
近視手術専門医の育成のため、「実技角膜屈折手術―RK,PRK,LASIKを中心に」
(1997年・南山堂)他を執筆




近視博士のモットー


私は医科4代の家に生まれました。
曾祖父の教えにより、「新しい療法に対しての取り組みは、
可能な限り、まず自分、あるいは家族でその安全性と効果を確認し、
その後一般の患者さんに行いなさい」という家訓がモットーです。




近視手術を行う事への動機



1983年、私は、日本人医師として初めて近視手術を受けました。
当時は、眼科医ではなく、大学病院に勤める内科医でした。
そして、医師である前に、近視手術を受けた患者でした。

近視手術の素晴らしさを多くの人と分かち合いたいと思い、日本に広めることを決意しました。
初代院長に若山久医学博士(日本医科大学眼科学教室、)を迎えて、1983年に、
「参宮橋アイクリニック」(現在の奥ノ山医院)を開業しました。

その後、私は眼科を勉強し、近視手術の専門医になり、ロシアの眼科専門医を取得しました。
日本での近視手術の症例が増え、研究の成果を認められ、近視手術分野における医学博士号を
いただきました。その経歴を以下に記します。




近視博士の経歴


      
1974年

1975年

1976年

1980年

1983年




1988年

1989年

1992年

1995年

1996年

2008年
モスクワ第2医科大学医学部卒業。旧ソ連邦医師免許取得。

日本国医師免許取得。

板橋富士見病院内科入局。

東海大学医学部内科入局。

モスクワ顕微手術眼科研究所、所長S.N.フィヨドロフ博士より自己治験として近視性屈折
異常のため、両眼の放射状角膜切開術(RK手術)を被術。自己および家族の治療を基礎に
本邦初の眼科専門医による屈折矯正手術専門眼科医療機関 「奥ノ山医院」を開設。
初代院長に日本医科大学眼科学教室、若山久医学博士を招聘。

「参宮橋アイクリニック」院長としてRK手術執刀開始

本邦初、遠視矯正手術(ITK)施術開始

エキシマレーザー近視矯正手術(PRK)施術開始

屈折矯正眼科学で医学博士号を授与 (モスクワ第3医科大学にて)

(露)眼科専門医、屈折矯正手術専門医資格取得

「参宮橋アイクリニック」を現在の「奥ノ山医院」三軒茶屋に移転




近視博士の臨床歴


      
1984年~1995年

1984年~2008年

2008年~現在
モスクワ顕微手術眼科研究所のフィヨドロフ博士に、眼科学および角膜屈折
矯正学を師事する。

参宮橋アイクリニック院長として、近視手術執刀開始。

「参宮橋アイクリニック」を現在の「奥ノ山医院」三軒茶屋に移転し現在に
至るまでRK、PRK、レーシック(LASIK)、レーセック、フラップ
レス・レーシック等を2万余例執刀。




近視博士の参加学会及び活動


・眼科専門医(ロシア共和国) 屈折矯正手術専門医
・医学博士(屈折矯正眼科学) 臨床内科医会認定医
・カザフスタン国立医科総合大学名誉教授
・WHO研究・研修協力センター元学術顧問
・日本眼科学会会員 日本眼科手術学会会員 (ISQOV会員 )
・日露医学医療交流協会元会員 ロシア屈折矯正手術学会理事
・国際屈折矯正学会会員 日本角膜屈折矯正研究会代表
・月刊「OPHTHALMO SURGERY」誌 海外編集委員(英露語)




近視博士の代表著作
その他、書籍一覧については、こちら(書籍紹介)をご覧ください。



実技 角膜屈折矯正手術

実技 角膜屈折矯正手術
RK、PRK、LASIKを中心に本書は著者14年余にわたるRK手術、
PRK手術の経験をもとに、そのノウハウを全て記述してあります。

その内容は、RK・PRKを実施するにあたって、まず患者に対するインフォームドコンセントを具体的に記述し、
続いて術前検査、術式決定、手術の実際と注意点、術後の管理と経過の観察、さらに合併症と予防までを豊富な
カラー写真と挿図を駆使し、懇切に解説している最高の手術書です。

(南山堂 1997年5月 発行)
ご購入はこちら




近視博士の初心忘るべからず


近視手術は現在、年間40~50万人の人が受けるようになり、広く社会に認知されるようになった。
それに伴い、「近視手術で近視が矯正されメガネやコンタクトレンズがいらなくなった」ことは、
ニュースにならなくなった。
下記の記事は、角膜矯正手術に関する、私の体験にもとずく最初のもので、
現在の「奥ノ山医院」の前身「参宮橋アイクリニック」のデビューに当たり思いで深い記事である





「ソ連式近視矯正 日本でも成功」

家族ら13人治療 モスクワで“開眼”の医師

奥山さんによると、手術による近視の矯正は、48年ごろからモスクワ眼科マイクロサージェリ
研究所のフョードロフ教授が始めた。アメリカでもすでに、この手術が取り入れられている。

48年当時、第2モスククワ医科大学に在学中だった奥山さんは、強度の近視のため、この手術
に興味をひかれた。

四十九年に同大を卒業して帰国後も、この手術方法のことが頭から離れず、米ソの手術例を掲
載した文献を取り寄せるなどして検討。安全性を確認したうえで58年4月、モスクワで日本人
として初めて同教授の手術を受けた。この結果両眼とも0.03の視力が0.5まで回復。
「ビール瓶の底のような度の強い眼鏡から解放された」

この手術方法に確信を持った奥山さんは、日本でも広げようと、奥山さんの手術の際、同行し
てモスクワで手術方法を学んだ都内の大学病院の眼科医を担当医に、58年8月、渋谷区代々木
5-61-4ライオンズマンション203号に「参宮橋アイクリニック」を開設した。

「新しい医療を始めるにはまず身内から」と奥山さんは家族らに手術を受けさせたところ、結
果はいずれも良好。妹(34)は両眼とも0.08から0.4、義弟(36)は左眼が0.3から1.0、右眼が
0.1から0.9、義妹(33)は両眼とも0.08が0.3 に、それぞれ視力が向上。妻(37)も2回の
手術で0.2の左眼、0.1の右眼がいずれも1.2まで上がった。家族らを含め、これまでに13人が
手術を受けたが、今のところ0.2程度の軽度の近視は0.6以上、それ以下の中、重度の近視も、
かなり良くなるなど好成績を挙げている。

奥山さんによると、この手術は角膜の前面を放射線状に切開、眼圧で角膜を外側に少し記さ
せ、屈折率を変えることで近視を矯正する。近視の程度に応じて切開の数、深さを決める。
手術時間は片目で15分。通院で済む。視力は手術後、一時的にはね上がり、その後、少し落
ち、半年後に安定する。

ソ連では、すでに1万5千人がこの手術を受けており、これまでに合併症は感染症が2件、角膜
を切り過ぎて遠視になった例が1件ある。奥山さんは「切り過ぎると逆に遠視になるので、手術
は抑え気味に行っており、必ずしも1回の手術で本人の望む視力まで回復しないこともある。
しかし手術で軽度や中程度の近視の人は眼鏡が不要になり、重度の人でも軽いレンズの眼鏡で
すむことになるでしょう」といっている。


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